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明るく生きるをモットーに浮き草暮らしの海外生活、それなりに荒波に遭遇する事たびたび…でも控えめに頑張って生きてま~す。
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税関で迷いながらも無事に通過。いきなりカナダの空港に着いた!!と喜んだのもつかの間わからないままバンクーバーの空港から見た景色は寂しい感じの田舎だなと感じた事。

若いって怖いもの知らずだと今でも思うのは宿泊先も下調べもなくいきなりカナダの地に着いて当たり前の事なのに…9時間の飛行で異国に来たことが信じられないほど夢のような現実が不思議だったように思う。

宿泊先が決まってないならYWCAに泊まったらと空港案内の日本人の人が教えてくれたので1週間のYWCA(YMCAより女性ばかりの方が良いとの事)からのスタートです。

日本で英会話を勉強したにもかかわらずなんだかんだと言っても会話はできなくていろんな失敗だらけだったように思う。YWCAでは期限付き宿泊で1週間~10日位だったので他のYWCAに移り

その時に出会ったポルトガル人の同室のおばさんが居たのだけれど…デリカセッテンス(この英語もわからなかった)で働いているのでおいでと言われて、暇だったので2人で散歩がてら行ってみた。

ここで初めて簡単な飲食店だと判明したほど英語はわからなかったのです(ー。ー);朝、目が覚めたら時々朝食用のベーグルパンとバターがそっと用意してあって、心にしみる親切がとても嬉しかったのを覚えています。

もっとおばさんと話をしてあげればと思いながら会話が出来なかった自分が情けなかった。(かなりお歳のおばさんだったのだけどなぜYWCAに宿泊しながら働いていたのかはずーと不明でしたが…)

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今のようにインターネットもなければ、海外の情報を得る方法もほとんどなかったので自分の希望だけを頼りに行動をしたという感じでしたがその分のんびりとした感じで周りも親切だったような記憶があります。言葉も通じない(自分の英語が通じなかった)国で安全に生活したのですから今思えば懐かしい思い出です。この時の自分へのルールは「危険だと感じる行動は慎むべし」と心に停めた。
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資金は何とかできたものの当分の生活費しかないため行き先はカナダのバンクーバーに決めたのはアメリカよりカナダの方が入国し易いと人伝てに聞いたからだと思う。

英会話学校に通っていた同じクラスメートと意気投合し1人で行くつもりが2人になった。
賛同してくれる友達ができた事はお互い心強い味方で自分だけで考えていた迷いが半分になったのが嬉しかった…それからは少しの間、買い物から、予防接種、時折一緒に話す海外の話は尽きなかったけれど、具体的な情報がなくそのまま下調べなしで決行することになりました。

2人とも出たとこ勝負みたいななにも情報がないまま日本を出ようと思ったのですから信じられない行動だったかもと今は思う。

それと日本の航空会社ではなくてカナダの航空会社と決めたのも乗った時から日本語が通じない環境に身を置いて早く慣れようと健気なアイデアだったように思います。
仕事を辞め住まいの整理をし、友達へのお別れも済ませ、心ばかりが浮いていた日々。

さあ本当に出発なんだ~!

大阪空港から羽田空港に乗りついで日本を出た…ただ荷物が運ばれるように2人は機上の人となった。

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税関で何か食べ物を持ってますか?って聞かれて友達が咄嗟にチョコレートと答えて税関の人にゲラゲラ笑われた事がありましたがそれほど緊張していたのか無知だったのか…今は笑えますがその時は本気でした2人とも。
 
数年が経ち卒業後、社会人になってから仕事を覚える事ですっかり海外の事は忘れてただひたすら新しい生活と仕事にも慣れることで月日が過ぎぎた。
そして仕事にも慣れ落ち着いた頃、ある日思いだした。
自力で海外へそのうち行こうと。

決心した日から資金作りに昼は普通のOL生活、週に4日夜のバイト生活が大阪で始まった。
その間も会話学校にも通いながら生活は大変だったけれど不思議にも嫌だとか辛いとか
思った事はないですが目的を曲げないための自分に課したルールの方がちょっときつかった
かもしれない(笑)

友達と普通にグループで出かけたりそれはそれで楽しく遊んではいましたが、恋愛だけはしないように心がけた。
誰かを好きになれば別れが辛くなるから...
1年少し経った頃、往復航空券と数ヶ月の滞在費用もできたのでそろそろ準備の決行です。

まだビザが自由に下りなかった頃、個人でのビザの取得はとても難しかったものです。
雨のシトシトと降る日、確か神戸のアメリカ領事館だったと思う
パスポートを片手に往復切符を持って領事と面接したのを覚えています。

ただラッキーだったのは領事がカタコトの日本語で親切に応じてくれた事と数次ビザをくれた事、人生最大の喜びの日でした(一次ビザではなくて数次ビザですよ!驚きです)
 
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地元での就職を母から言われたにもかかわらず自由を求めて寮付きの会社に就職したのはそれなりの野望(大袈裟?)と田舎から都会(大阪)へ出る道しるべにしたのだと思う。

スタイルクルーズ

人は誰でも自分の人生を変えるほど何かに憧れるチャンスがある。
そう...私が14歳の頃、海外に憧れたのは雑誌に載っていた
たった1枚のフロリダ州の風景写真。

田舎育ち(メチャ田舎です)の私に衝撃と言うか感動がビビーと心に
刺さったのを覚えています。
地球にこんな美しい場所があるなんて...できることならこの目で見てみたい。
その日からテレビで海外風景に興味を覚えた。
子供心に不可能に近いほど道のりは遠いと自覚はあったものの憧れが
だんだん大きくなったのを 今でもはっきりと覚えている。
雑誌から切り抜いた写真を実家の柱に貼りその写真を毎日目にしていたものです。 

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実際にフロリダの海の景色を見れたのはウン十年後の家族で
デズニーワールドへ行った時です。
やはりあの子供の時に見た写真と同じくとても綺麗な景色でした。
そう...雑誌から切り抜いたあの写真のように。


このタイトルの海外浮き草生活...海外での生活って聞いた感じは格好よく思うけれど実は浮き草のような生活かもしれない。だって心がいつも揺れ動いているから...
それは先が予測されない地に足が着いていない状態の事だと自分流に名ずけました。

人生何が起こるかわからないとはよく言われますが自分だけはなぜか平穏に暮らせると思っていた...いろんな事が自分に起こるまでは。
若い時は苦労しても年とともに平穏な暮らしができるものだとず~と信じてた。

人はなぜ海外に惹かれるのだろうか
ただの憧れ?海外生活への興味?違った世界をみてみたい?などですが実際は何事も経験してみないとわからない事だらけかも知れない。

海外へ行ってみたいと思った10代の頃のきっかけから現在に至るまでの経緯を少しずつ書いてみようと思う。

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